【「愛」するための哲学】

インフォメーション
| 題名 | 「愛」するための哲学 |
| 著者 | 白取 春彦 |
| 出版社 | 河出書房新社 |
| 出版日 | 2025年2月 |
| 価格 | 1,870円(税込) |
「愛とは何か」「愛するとはどういうことか」「愛することで何が変わるのか」……。現代人が見失っている、 人生を幸福に生きる「愛」する能力の育て方を、先人たちの知見から導く。新装版
引用:河出書房新社
ポイント
- 人は簡単に「愛に悩む」などという言い方をしてしまいがちだ。しかしたいていは、純粋に「愛」そのものについて悩んでいるわけではない。愛でつながっていると自分が思っている人との関係、あるいは二人の間に起こっている問題について悩んでいるのである。
- 『聖書』の一文書では、「愛」は他の人へのさまざまな態度として表現されている。その背後には、「愛」とは自分から「愛」することを意味しているという主張がある。
- 「愛」につながっているような行為を並べてみると、すべて自分が主体である。愛は観念ではなく、愛するという現実の行為そのものなのである。
サマリー
音声で聴く
人は「愛」を見失っている
「愛」について悩んでいる人はいない!?
誰もが「愛」をめぐるさまざまな事情や問題を抱えている。
そして簡単に「愛に悩む」などという言い方をしてしまいがちだ。
しかしたいていは、純粋に「愛」そのものについて悩んでいるわけではない。
愛でつながっていると自分が思っている人との関係、あるいは二人の間に起こっている問題について悩んでいるのである。
その典型が、いわゆる「不倫」の関係を持った人の悩みだ。
これはちっとも「愛」についての悩みではない。
世間から白い目で見られることや、社会常識や社会制度の無言の圧力に対しての苦しみである。
「愛」を決めている世間的価値観
世間は「愛」について、そのルールを強いてくる。
あからさまなのがメディア、中でも恋愛もののテレビドラマだ。
たとえば、親の愛は尊い、一人の人しか愛してはいけない、周囲から祝福されるような結婚が愛の完成形である、といったもの。
これらは確固たる根拠のないものなのに、それが人間生活の真理であるようにあつかわれている。
そしてそれを信じ込んでしまうために、結果的に不幸になる人がいる。
たとえば、愛する人と結婚をしなかった人は、引け目や敗北感を覚えてしまう。
恋愛や結婚は取引になっている
世間が与えてくる価値観や人生観に染まると、「愛」したはずの相手と自分の間に、いつの間にか計算や取引がはさまってしまう。
たとえば、同居して裕福な暮らしができるだろうか、相手には何か秘密があるのではないだろうか、などと考えてしまうのである。
これは商品を買いためらっているのと同じで、損得の計算をしながら品質を疑っている状態だ。
会う前から相手のスペックを重要視する、いわゆる「婚活」は、特にあからさまな取引である。
お互いに自分の得しか考えていない。
そうして結婚したとしても、まるで家電製品のように、欠陥が見つかったら廃棄、すなわち離婚となるだろう。
自分を称賛させるための道具
不特定多数の人から愛されたいという人がいる。
これも「愛」とはほぼ関係がなく、自分の欲望を述べているだけ。
その内実は「おまえたちの愛をくれ」という要求の命令を発しているのであり、他の人たちを、自分を称賛させるための道具とみなしている。
言葉や態度でアピールするが、何も実現する力は持っておらず、自己愛が強いわけでもない。
彼らを支えているのは、他人からの評判、地位や肩書きなど、外から与えられるものなのだ。
そういう人たちは自己を失っているとも言える。
