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【グラフィック伝記 フレディ・マーキュリー】

題名 グラフィック伝記 フレディ・マーキュリー
著者 アルフォンソ・カサス 作
宇野 和美 訳
小原 京子 訳
出版社 岩崎書店
出版日 2019年12月
価格 1,980円(税込)

 

 映画『ボヘミアン・ラプソディ』で注目の集まるクイーンのボーカリスト、フレディ・マーキュリーのグラフィックノベル風伝記!
波瀾万丈の生涯をイラストと共に綴る。

引用:岩崎書店

ポイント

  • フレディ・マーキュリーは、スターになる運命の星のもとに生まれてきたかのようだった。

  • 少年の早熟な芸術的才能を見出し、それを伸ばすチャンスを与えたのは、この叔母と祖母だった。

  • 音楽を超えて、フレディが世界に遺した真の遺産は、最後の最後まで闘おうとする、あのパワーだった。
    ウイルスは、社会的地位や性別を問わず誰にでも感染することを世間に知らせ、エイズに対して闘い続ける人の手本となり、多くの人々を勇気づけた。

サマリー

はじめに

その歌と僕が出会ったのは90年代、リズム&ブルースのバンドのコピーでだった。

当時は今みたいに、クリックひとつで情報が手に入る時代じゃなかったから、その「ボヘミアン・ラプソディ」という曲が、実はクイーンというバンドのオリジナルだというのがわかるまで、だいぶ時間がかかった。

それからクイーンの音楽を聴いていくうちに、自分が彼らから、音楽だけでなく人生全般にわたって、知らない間にさんざん影響を受けてきたことが分かった。

フレディが作った音楽が彼の人生を語るように見えることもあれば、彼の人生が音楽によって築かれることもあり、彼の音楽と人生は切り離して語れない。

そこでこの本では、事実と音楽をおりまぜながら、偉大なフレディ・マーキュリー像を描き出してみたい。

イントロ

何度も生まれ変わった

フレディ・マーキュリーは3度生まれた。

いや、3度どころか、もっと何度も生まれ変わったと言ってもいい。

フレディの人生はまさにそうだった。

生きている間に、彼について沢山のことが書かれた。

本当のこと、そうでないこと、色々あったが、さえない男に見えたことは一度もなかった。

1946年9月5日、ザンジバル島の主要都市のひとつストーン・タウンで生をうけた。

スターになる運命の星のもとに生まれてきたかのようだった。

たとえば、生まれ故郷に残る手がかりの一つである、赤ん坊のころのポートレートは写真コンクールの優勝作だ。

撮影したスタジオのショーケースに今も飾られているこの写真は、幼少期を過ごした家の玄関にある写真や切り抜きとともに、ストーン・タウンに残された、フレディの思い出を物語る数少ない品のひとつだ。

フレディの誕生

生まれた島を後にしたのは、1995年の夏だった。

両親が、叔母と祖母が住むインドのボンベイ近くで、息子に教育を受けさせようと決めたのだ。

少年の早熟な芸術的才能を見出し、それを伸ばすチャンスを与えたのは、この叔母と祖母だった。

ふたりは、絵を描くために油絵具をかってやり、ピアノを習わせた。

ピアノのレッスンで、生まれながらの耳の良さを発揮し、楽譜がなくても、ラジオで聴いただけで曲をひいて見せた。

その後、思春期を過ごした寄宿学校では、友達4人と最初のバンドを結成して、めきめきと頭角を表した。

バンド名はザ・へクティクス。

友だちに「フレディ」と呼ばせるようになったのはそのころだ。

その呼び名はたちまち学校中に広まり、家族もそう呼ぶようになった。

少年は生まれ変わった。

ロック

真の遺産

1987年5月、フレディの元アシスタント、ポール・プレンターが、タブロイド紙「ザ・サン」に、フレディがエイズに侵されているという特ダネを売った。

しかも、フレディの元恋人ふたりがエイズで死んだことをはばかることなく暴露した。


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