【夕日が青く見えた日 〜「ピカソが未来を託した画家」が語る本物のアート思考〜】

インフォメーション
題名 | 【夕日が青く見えた日 〜「ピカソが未来を託した画家」が語る本物のアート思考〜】 |
著者 | 松井 守男 |
出版社 | フローラル出版 |
出版日 | 2021年7月 |
価格 | 1,980円(税込) |
アート思考が日本を変える日が来る 日本人よ、大胆になれ。
お前は俺のようになれる。でも俺にはなるな。松井守男になれ。
圧倒的個性でアートを生み出し続けた稀代の天才芸術家、パブロ・ピカソ。
そのピカソに認められた本当に数少ない画家である人物こそ、本書の著書である画家・松井守男。ピカソと共に過ごしたおよそ五年間の中で情熱を燃やし、オリジナリティを追求し続けた結果、「光の画家」と評される個性を作り上げ、「フランスの至宝」と称されるまでになった。
その価値とは、アートが心を揺さぶられる「感動」だけでなく、「お金=ビジネス」を生むということ。芸術を非常に大切にする土壌があることで、おのずとフランスでは個性や個人の意思が重んじられ、新しいアートが生まれ続けるという歴史がある。
本書には、そういったメディアが普段報じてくれない本質的なアートに対する考え方と、ビジネスや人生におけるアートの活かし方についての松井画伯の想いが込められている。
目先の憂いや将来に対する不安に心が囚われがちになってしまう時代だからこそ、本書を読んで本物のアート思考に触れ、大胆に・前向きに生きるパワーを得て、輝かしい日々を歩んでいただけることを願っている。
引用:フローラル出版
ポイント
- フランスでは、家に当たり前のように絵が飾られ、高齢のご夫妻が孫を連れて絵を買いに来る光景もよく見る。価値あるものを見分ける目を教育しているのだ。こうした環境で育ったフランス人たちは、自分で判断することをとても大切にする。
- ピカソに教わったことのひとつが、「お前の作品の値段は、すべてお前が決めろ」ということ。値段を自分で決めるということは、自分の価値を自分で定めるということである。
- 日本では、世間体を気にして自分の感性を表に出せない。しかし大事にすべきなのは自分の感覚であり、思いである。今、日本人に求められていることは、固定観念を取り払って、本当の心で見ることだ。
サマリー
はじめに
今、日本はさまざまな閉塞状況にある。
もしかすると、私の知るアートの考え方が、苦しむ日本経済や日本の状況の突破口になるのではないか。
そう考えたことが、本書を書き記すきっかけだった。
ピカソから得た学びや、フランスと日本の違いをお伝えすることで、置かれた状況を客観的に捉え、日本の問題を俯瞰してもらうことはできるのではないだろうか。
何かしらのヒントとなってくれれば、と願っている。
フランスで見た、知られざるアートの世界
アートは心と懐を豊かにしてくれる
アートは心を豊かにしてくれるだけではなく、「資産」でもある。
価値のあるアートを手にすれば、その価値が上がることで「資産」は増えていく。
多額のお金を持っていたとしても、お金としての価値をもたなくなれば、それはただの紙切れに過ぎない。
アートは不測の事態に遭っても、価値が変わらない、生き残るための「資産」である。
絵画を見にいくのに、孫を連れていく
フランスでは、家に当たり前のように絵が飾られ、ごく一般の人たちが当たり前のように絵を買いに来る。
高齢のご夫妻が、孫を連れて絵を買いに来る光景もよく見る。
心を豊かにしてくれるのはどんな絵か、資産として自分たちを守ってくれるのはどんな絵か。
それを教育しているのだ。
必要なのは、価値あるものを見分ける目であり、それをもって絵を手に入れることができたとき、絵は自分を守る資産になってくれる。
こんな話をしながら幼い子どもと一緒に高齢者が絵を眺める。
審美眼が鍛えられないはずがない。
こうした環境で育ったフランス人たちは、自分で判断することをとても大切にするようになる。
自分が培ってきた審美眼で、アートも、物事も選択していくのである。
ピカソは何を語ったか
絵の値段は自分で決めろ
私は、ピカソと交流する機会をもらい、アトリエに出入りすることを許された。
ピカソに教わったことのひとつが、「お前の作品の値段は、すべてお前が決めろ」ということである。
画家は多くの場合、画商や画廊に販売を委ね、絵の値段を決めるのも彼らである。
しかし、私は若い頃から絵の値段は自分で決めたいと思っていた。
そして絵を買ってくれる人と直接コミュニケーションを交わしたかった。
画商や画廊をつけない画家は、画商たちには異端の存在、もっといえば気に入らない存在である。
しかし、そんな私を、まさにピカソは後押ししてくれた。
値段を自分で決めるということは、自分の価値を自分で定めるということだ。
その教えは正しかったと思うし、自分の選択も正しかったと思っている。
同じことを繰り返しているのは怠け者
日本では、「スタイル」というものがあるらしい。
特定の何かを描く、モチーフが決まっている、お得意のものがある、など。
しかし、私にはそんなものはなかった。
常にその場で考えるからだ。
ピカソもこう言っていた。
「同じことを繰り返していると、怠け者と呼ばれる」
実際、彼は生涯それを貫いた。
「青の時代」「桃色の時代」などを経て、キュビズムを生み出し、さまざまな画風を開拓し続けた。
やるべきは常に新しいものに挑むこと、型を破り続けること。
それこそがアーティストの役割だとピカソは考えていたのだと思う。
スタイルはつくるべきではないし、アートはスタイルではない。
アーティストに自由に委ねることが、アートの力を最も輝かせると私は信じている。
アートの考え方が日本には足りない
自分の信じる「本物」を見続ける
アートを見る力をつけるには、どうすればいいのか。
シンプルな答えとしては「本物を見る」ということになるだろう。
しかし、美術館で本物だけを眺めていればいいわけではない。
美術館の本物は、誰かが選んだ本物であり、自分が選んだ本物ではない。
大事にすべきなのは自分の感覚であり、思いなのだ。
有名無名、名作と言われているかということではなく、自分自身の感動こそを大事にする。
それが、アートを見抜く力を高めてくれる。
日本では、世間体を気にして、自分の感性を表に出せない。