【デスマッチよりも危険な飲食店経営の真実 – オープンから24年目を迎える人気ステーキ店が味わった】

インフォメーション
題名 | デスマッチよりも危険な飲食店経営の真実 – オープンから24年目を迎える人気ステーキ店が味わった |
著者 | 松永光弘 |
出版社 | ワニブックス |
出版日 | 2020年7月 |
価格 | 1,430円(税込) |
今年でオープンから24年目を迎えたステーキハウス『ミスターデンジャ―』(東京都墨田区立花)。今や行列が絶えない人気店だが、狂牛病騒動、リーマンショック、新型コロナウイルスなど予期せぬピンチの連続で、ここに至るまでの道のりはデスマッチよりも危険だった! どんな非常事態も創意・工夫で乗り越えてきた元プロレスラーで、〝ミスター・デンジャー〟の異名を馳せた店長の松永光弘氏が初めて明かす、固定概念をブチ壊すサバイバル哲学!!
「コロナ禍のような緊急事態下こそ、大きな決断を即座に下せるかどうかが、ビジネスを進めていく上で、とても大事なことだと思っている。もちろん、これは私が何度となくビジネス上で失敗を繰り返し、そこから学んだことでもある。いまとなっては、あんなにたくさんの危機に直面してきたのに、よく店を23年も存続させ続けることができたな、としみじみ思う。そうやって体験してきたこと、学習してきたことも、この本ではすべて書いていこう」(著者より)
序 章 コロナとの闘いは「デスマッチ」にしてはならない
第1章 ステーキ店はどんなデスマッチよりも辛かった!
第2章 狂牛病騒動をも撃退した『どうしよう?』即『こうしよう!』
第3章 『金』よりも『人』を大事にすれば、いつかは救われる!
第4章 倒れてもカウント10までに立ち上がれば生き残れる!
最終章 令和2年春、コロナと向き合った繁盛店が下した『ふたつの決断』
引用:ワニブックス
ポイント
- 1997年に念願のステーキハウス「ミスターデンジャー」を開店するが、このあと訪れる未曾有のコロナショックから店を守ったのは「家賃の安さ」だった。儲かってるうちは気にならないが、営業が厳しくなってくると、その割高な家賃に苦しめられるのである。
- オープン初日は想像をはるかに上回るお客さんがやって来た。ひたすら肉を焼く日々に追い詰められ、ついに不眠症になってしまった。6日間で私の体重は10キロも減り、まさに飲食は地獄だったのである。
- 人は経験したことのない事態に直面すると、まず「どうしよう」と思い悩む。だが「緊急時こそ、柔軟に素早く、しかもダイナミックに動かなくてはいけない」ということを、狂牛病騒動から学んだ。
サマリー
飲食業界は「地獄」である
著者はこれまで、リングの上で火だるまにされたり、五寸釘の山に叩き落されたり、ワニと戦ったりと、誰も経験していないような生き地獄をたっぷりと味わってきた。
それなのに、ステーキ店をオープンしてわずか数日間で、厨房に立ち続けることは、そんな「生き地獄」よりも、もっと辛いということに気づかされたのだ。
「やってみなければわからない」とはよく言うが、ここまで大きな差が出る職業も、なかなかないのではないかと思う。
飲食業という仕事は地獄なのだ。
ステーキ店で1年間、懸命に修業を積み、 1997年に念願のステーキハウス「ミスターデンジャー」を開店することになった。
まず大変だったのは、お店の立地である。
最初、ステーキ店で修業していたとき社長が勧めてくれたのが、今も守り抜いている墨田区の立花にある店だ。
一応、駅から徒歩4分という駅前物件にはなるが、コンビニすらない、住んでいる人しか店の前を通らない殺風景な場所だった。
ただ良かったのは、家賃が1ヶ月で18万9千円だったこと。
いかに立地が悪いとはいえ、これはかなりのお値打ち物件である。
居酒屋だった物件を居抜きで借りるので、店の奥は小上がりのようになっており、カウンターとテーブル席を合わせれば、かなりお客さんを収容できる。
そして、このあと訪れる未曾有のコロナショックから、「家賃の安さ」が店を守る切り札になろうとは開店当初は想像もしていなかった。
儲かっているうちは気にならないが、営業が厳しくなってくると、その割高な家賃に苦しめられるのである。
開業資金がいきなり倍以上に高騰
ステーキ店をオープンしようと決めたのは、知人から「開業資金は350万円ぐらいあれば大丈夫」と言われたことが大きかった。
なぜなら、プロレスラー時代に蓄えた貯金が、ちょうど350万円だったからである。
しかし、開業に必要とされる資金は、フタを開けてみるとなぜか800万円にもなっていた。
当時はわからなかったが、恐らく足元を見られたのだろう。
これから飲食業をはじめようとする人は、味を極めたり、独創的なメニューを考えたりするよりも、開業にかかるお金の相場を勉強したほうがいい。
料理人である前に「実業家」でなければ、お店を成功させるのは難しいからである。
オープンから大行列!しかし…精神崩壊!
1997年4月、墨田区立花に「ミスターデンジャー」がオープンした。
この時点で、著者はまだ現役のプロレスラーだったが、プロレスファンには店のオープンを伝えることはしなかった。
まず、地元のお客さんに受け入れてもらうことが、長く店を続けていくために大事なことだと思ったからである。
オープン初日、全戸にチラシをポスティングしたこともあってか、想像をはるかに上回るお客さんがやって来た。
1週間分のつもりで仕入れた肉はわずか2日でなくなり、今度は仕込んだ肉を入れておく冷蔵庫もいっぱいになってしまった。
とうとう換気扇も煙を吸わなくなり、ひたすら肉を焼く日々に追い詰められ、ついには不眠症になってしまったのである。
オープンから6日間で私の体重は10キロも減り、まさに飲食は地獄であった。
だが、あれだけ押しかけてくれたお客さんも、2週目からガタ落ちし、余裕を持って用意した肉も余ってしまったのだ。
当時は「月に200万円いけば合格点」と言われていた売り上げは、月150万〜200万円ぐらいで推移していく。
家賃が安かったことと、スタッフも少なかったことで人件費を抑えられ幸いした。
店のためにすべての私生活を犠牲にした毎日、大変な世界だとわかっていたが、自分の店を手に入れるという夢は、それ相応の見返りがある。
「お金以外にも大きなものを失う危険性が極めて高い」ということだけは、起業を考えている方に伝えておきたい。